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レスリングの明治杯全日本選抜選手権第1日の4月29日、世界選手権(2011年9月、トルコ・イスタンブール)代表選考会を兼ねて東京・代々木第2体育館で男女12階級が行われ、男子グレコローマンスタイル55キロ級にて、広州アジア大会優勝の長谷川恒平(福一漁業)が4連覇しました。
福一漁業㈱まき網漁船第123福一丸が、3月13日(日)未明に東日本大地震被災者への救援物資を輸送するため焼津港から宮城県石巻港へと向かいました。この際、物資のご提供を関係者に募ったところ、夜遅いにもかかわらず大変多くの物資を届けて下さいました。本当にありがとうございました。皆様の気持ちに感謝申し上げますとともに、我社としては今後もできる限りのことは協力を惜しまない所存でございます。
被災地の方々の救済と復興をお祈り申し上げます。
男子グレコローマンスタイル55キロ級で長谷川恒平(福一漁業)が決勝でカニベク・ジョルチュベコフ(キルギス)にフォール勝ちし、金メダルに輝いた。準決勝では世界選手権5連覇中のハミド・ソリアン(イラン)を破った。
-<静岡新聞抜粋>-
国際レスリング連盟が主催する賞金大会、ゴールデン・グランプリ(GP)決勝大会は17日、バクーで行われ、男子グレコローマン55キロ級で長谷川恒平が優勝し、賞金1万ドル(約94万円)を獲得しました。
日本レスリング協会によると、この大会には今季2戦が実施されたゴールデンGPの成績上位が出場。賞金1万ドルは世界のレスリング大会で史上最高額とのこと。
明治乳業杯全日本選抜選手権最終日は6月21日、東京・代々木競技場第二体育館で各スタイル3階級が行われ、グレコローマン55kg級のアジア王者、長谷川恒平が2年連続優勝を達成し、最優秀選手に贈られる明治乳業杯を受賞致しました。
焼津市内で製造された水産関連商品の中から、優れた商品を認定したのが「焼津市水産ブランド★★」で、弊社商品【まぐろハンバーグ】が認定されました。
-<掲載抜粋>-福一漁業㈱近藤一成社長に聞く カツオマグロ漁業、売買を軸に水産事業展開
福一漁業㈱の近藤一成社長は、大型海巻船の第一船となる第83福一丸の竣工に際し、「水産庁のご理解をいただいて船を大型化する事ができ、今後、いろいろな可能性が出てきた。これまでの規制の中で新しい基準をつくると、現状よりも後退してしまうおそれがあったが、今回の大型化のより(これまでの)課題がクリアされた。今すぐの具体的な事柄こそないが、いろいろな可能性が一気に広がった」として大型化を歓迎する。そして「今の世界人口65億人が、30-40年後には91億人になるといわれており、少なくとも今より4割アップした食料の増産が必要になってくる。食料確保への対応はますますじゅうようになる」とし、大型巻網船のたんじょうは食糧自給率控除に貢献しつつ、国際競争力強化に向けた大きな第一歩であると強調する。
近藤社長は「日本の漁業、漁船は隻数が規制され、トン数を制限されてきたため、付加価値を付けなければ外国船に対抗できないということで、工夫、改善をしながら歩んできた。今回の大型化でも、外国船と比べたら標準型にすぎない。積みトン数が増えて、漁場滞在日数が多くなり、稼動率が高まることで、効率操業になるというかもしれないが、私が求めているのはそういうことではなく、船を大きくすることで、これまで悩んできた付加価値付けへの道が拓かれたことに意味があると思っている」と話す。
新船は魚群探索を行う小型ヘリコプター離着陸できるヘリデッキを装備した。近藤社長は「外国の巻網船は3-4隻でヘリをシェアして操縦を行っている。これには年間、相当額の経費がかかるが、今後試験導入を図っていきたいと考えている」と、ヘリコプターを使った本格操業を視野に入れている。
海外巻網船はカツオを主体に漁獲し、キハダ類が2-3割ほど混じるこのうちカツオは日本の和風味の原点のダシとなるカツオ節原料向けがメーンで、その派生製品のつゆ、調味料などのほか、生利節や缶詰、さらに、生食(タタキ・刺身など)に向けられる。近藤社長は「カツオ節業者向けに、国産原料のカツオを供給していくことがメーンで海巻船はカツオ節業者とともにある。新船は魚倉が大きくなっている分、詰め過ぎが回避されて、魚の品質がアップしていくと思う。加工原魚向けのB品と生食向けのPS品の生産については、これまでにもB品の方が相場が高くなる逆転現象が生じており、バランスよく生産していきたい。カツオ節メーカーなどユーザーの皆さんには、商品開発を大いに行って需要・消費のすそ野を広げていってもらいたい。その際、われわれにも要望をドシドシ出してもらえればと思っている。われわれもよりよい魚の生産に向けて開発を行って行きたいと考えている」と、漁業生産者と食品メーカーによる二人三脚の取り組みを訴える。
福一漁業は別掲の通り、水産業を軸に、幅広い事業を展開している。近藤社長は「基本はマグロカツオ漁業で、今後、もう一つの事業の柱であるマグロカツオ売買事業を強化していく」とし、水産事業の拡充を示す。
「未完成の魅力」と「いつも今が始まり(フロンティア精神)」を今年から社是にして、各事業所に掲げた。この社是について、近藤社長は「常に何かを求めて行動している時が、いちばん魅力的に思える。常に皆が満足せずに、がんばっていきたいという意味がが込められている。社是、社訓をはっきり出している会社は伸びている」と語る。新船も"未完成の魅力"で、飽くなき改善が貫かれた。
2009年1月20日、静岡放送会館で開かれた第57回静岡新聞社・静岡放送スポーツ賞表彰式が行われ、長谷川恒平が優秀選手賞を受賞しました。
全日本レスリング選手権第2日は22日、東京・代々木第二体育館で男女8階級を行い、男子グレコローマンスタイル55キロ級の長谷川恒平(福一漁業、焼津中央高校出)が決勝で峯村亮(神奈川大職員)を下して2連覇を飾った。
【長谷川、意地の王座死守】
チャンピオンの意地でしのぎきった。グレコ55キロ級の長谷川恒平(福一漁業、焼津中央高校出)は苦しみながらも2連覇を果たし、「絶対に勝たなければと思っていた。頂点に居続けることが重要」と胸を張った。マットに上がった王者は1週間前の練習中で痛めた左ひざを、きつくテーピングしていた。不安を抱えて臨んだ初戦で案の定、鋭い痛みが走った。「本来の動きができないと分かったので、省エネの戦いに切り替えた」。準決勝はスタンドで効果的にポイントを奪って圧勝した。決勝の相手は国体決勝でも対戦した峯村(神奈川大職員)。試合を通して互いに攻撃でポイントを取れず、グランドが勝負の分かれ目となった。第3ピリオド残り10秒、守る長谷川の体が浮き上がったが、「自信があったので慌てなかった」。巧みに体のポジションをずらし、ピンチを脱した。同点のラストポイント勝ちに、「試合内容は負けたも同じ。国内ではずばぬけて強くないと駄目」と表彰台では笑顔を見せなかった。しかし、アクシデントを乗り越え、勝ち取った栄光には価値がある。長谷川自身も「げがを抱えながら調整した経験は今後に生きる」と振り返った。今は五輪を身近に感じている。「世界の強豪はどんな体制からも得点を取る技術を持っている。練習からもっとがむしゃらさを出し、来年は国際試合で結果を出したい」と先を見つめた。
国立代々木競技場第二体育館(東京都)にて「平成20年度明治乳業杯 全日本選抜レスリング選手権大会」が開催され、グレコローマンスタイル55kg級で長谷川恒平が初優勝しました。
また、個人賞としてグレコローマンスタイルの優秀選手に選ばれ表彰されました。
2008年3月22日に行われたレスリング・アジア選手権(韓国・済州島)のグレコローマンスタイル55㎏級において、当社社員の長谷川恒平が第3位になりました。北京五輪出場が掛かる大会でしたが、準決勝にて世界選手権3連覇中のハミド・スーリアン選手(イラン)と対戦し、敗戦となったため五輪出場は見送りとなりました。しかし、気持ちを切り替え5月に欧州で行われる選考会へ向けて闘志を高めました。
平成20年3月14日の静岡新聞に総務部長谷川恒平が掲載されました。
日本レスリング協会が2008年3月6日、北京五輪出場枠がかかるアジア選手権(18日~23日・韓国)の男女代表を発表し、その中で当社の長谷川恒平が、男子グレコローマン55kg級の代表として選ばれました。
この度東海じゃらん(RECRUIT)の2007年10月号にて弊社グループ会社が経営するビジネスホテルnanvanが東海・関西・北陸・信州エリアの総合評価ランキング第1位に選ばれました。
これも一重にお客様方のお陰様と深く感謝申し上げます。
今後もこの評価に恥じないようスタッフ一同一丸となってサービス向上に努め、更なるご愛顧が戴けますよう邁進していく所存でございます。
旬な人 近藤一成 福一漁業株式会社代表取締役社長
武田水軍の遺臣であったと伝えられる福一漁業近藤家。焼津市で鮪延縄(はえなわ)、海外旋網(まきあみ)を中心に、鮪・鰹を漁獲対象として遠洋漁業を営む、江戸時代初期にその創業起源を持つ。300年の歴史を誇る企業であり、近藤一成社長は13代目、先人の教えを大切に、近時、新たな挑戦を始めている。その勇気、決断を探ってみた。
続きを読む »【社長】近藤一成(こんどう・かづしげ)
1951年2月12日生まれ。静岡県焼津市出身。73年3月東京水産大学卒。同年入社。91年社長就任。 趣味―スポーツ観戦、読書
船元としての創業は1700年代初頭ともそれ以前ともいわれる伝統のある企業である。1964年に福一漁業を設立、以来半世紀にわたりカツオ、マグロを軸とした漁船漁業および水産物の加工、販売に従事してきた。
続きを読む »徳川家康が駿河田中(現藤枝市)の城で、鯛の天麩羅を食べて具合が悪くなったのは、元和2年(1616)の正月21日のこととされているが、この時食べた鯛は焼津の浜で水揚げされたものである可能性が高い。
というのも、田中の城番にしてみれば、大御所様御立ち寄りということで、領内の名産を厳選吟味して食膳に供したに違いないし、そうだとすれば田中の領内で既に漁業の盛んであった焼津海岸のどこかしらから、活魚を仕入れるのが自然だからである。現にその前々年の、慶長19年(1614)4月13日には、焼津浦に上がった初鰹二尾が家康に献上された記録が残っている。
この時家康の食べた鯛が腐っていたということは考えにくい。産地から近いわけだし、時期も真冬である。天麩羅にした時に使った榧の油が古くなっていたか、異物が混入していたかによって食当りした可能性が濃厚である。
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