静岡ビジネスレポートに掲載されました

2006年5月 8日

300年の歴史を基に新たな挑戦の勇気と決断

旬な人 近藤一成 福一漁業株式会社代表取締役社長

武田水軍の遺臣であったと伝えられる福一漁業近藤家。焼津市で鮪延縄(はえなわ)、海外旋網(まきあみ)を中心に、鮪・鰹を漁獲対象として遠洋漁業を営む、江戸時代初期にその創業起源を持つ。300年の歴史を誇る企業であり、近藤一成社長は13代目、先人の教えを大切に、近時、新たな挑戦を始めている。その勇気、決断を探ってみた。

変わる勇気・決断

福一漁業は、鮪延縄漁船と海外旋網漁船を計8隻保有している。鮪延縄漁船は、ケープタウン沖、オーストラリアのパース沖などで操業し1航海は1年以上にも及び、海外旋網漁船はニューギニア沖などで1航海30~40日操業する。しかし漁業環境は年々厳しさを増し、特に遠洋業に関しては、200カイリ問題、漁業資源保護、燃油の高騰問題、漁獲高の取り決め、中国・台湾船などの摩擦が課題となっている。

このように漁業環境は極めて厳しい状況となり、従来通りの漁撈中心の経営では限界があり、陸上部門でいかに業績を上げていくかが生き残りをかける挑戦となった。「先祖代々から漁業一筋で時代と共に変化するその環境の中でいろいろな知恵を絞り生き抜いてきました。先々代は鰹一本釣りに新機軸を作り上げ、先代は延縄を始めた。私の代では販売や流通にも力を入れました。時代と共に変化する経済環境を的確に捉え、変わらざるを得ないと判断しました。先祖様には申し訳ないかもしれませんが、今老舗をいかに捨てるかを考えるようになってきました。それが企業継続、これからの福一を支えることになる。」と、勇気のある決断の基、平成に入り、焼津流通センター(量販店)・大井川コールドストレージ(冷凍工場)・静岡昭府店(量販店)をそれぞれ開設し、販売部門の強化が計られた。そしてその後も新たな事業へ果敢に取り組んでいる。

会社は元気でなければいけない

遊休土地利用との考えから、「何かやろう」と新規事業を模索、2~3年熟慮し"コインランドリー"の経営に平成11年から乗り出した。地域の生活に必要との要望に応える形で、無人レンタルビデオ店、ネットカフェと複合施設にその姿を変え、地域密着の店舗となった。その後、業容の変化拡大に伴い、企画開発事務所を開設。平成17年には、東京事務所開設、『HOTElnanvan』オープン、(株)NANVAN設立、海鮮食家『福一丸』オープン、宝くじ販売取扱開始など、事業拡大は加速した。その背景には、「会社は元気でなければいけない」の持論の基、QC大会での発表を刺激に社員のやる気は高く、その熱き情熱は肌で感じるという。また、実弟が専務で活躍、全幅の信頼を寄せ二人三脚の経営で更なる飛躍を目指している。

新規事業への挑戦には勇気が伴うが、「やるリスクよりやらないリスクが大きい。攻撃は最大の防御ですよ」「今、種を撒き次世代へ。企業価値は継続です。300年の歴史は重くその責任は重大です。自分の時代で絶つことは絶対にしたくない。歴史は重い、がその重みをおろす勇気は必要です。」と熱く語る。「現在の活動は後継者に託す旅とでもいうかな」(苦笑い)。

わたしの原点と福一の基

近藤社長は、船主の息子として子供の頃から船・海の男達に囲まれた環境で育った。昭和45年大学生だった同氏が、何気なく見た朝刊の「米式巾着網」の記事、『海のカウボーイ』。スピードボートでイルカの群れを追い込む、そのイルカに共生する黄肌鮪を獲る。名優ジョン・ウェインの西部劇を彷彿させ、自身の漁業のイメージを払拭させられた。そして東部太平洋に自ら赴き、2年の海に懸ける男としての実体験を積んだ。『それが海外旋網としての私の原点』と言うほど強烈なインパクトを受けた。

福一の全ての基は漁撈。その漁撈部門において、日本の自給率の低下(約50%)を懸念し、自給率の向上が我々の使命と言い切る。また販売部門では、川上(漁撈)から川下(大口・卸販売)へと流れを導き、ダム(冷凍庫・加工工場)から小売へと業容は時代と共に変化していった。そして、「食の安全性に対する責任の重大さをいかに痛感するか、それをどう浸透させるのか、それにより信頼性が違ってくる。流通を手掛け最後までその責任を果たしたい」と、"食する"ということの最終章へ挑む。

次世代に夢を託したい

中学・高校と陸上部でハードル選手として活躍、県・東海4県のチャンピオンであった。大学ではラグビー部所属、各ポジションをこなしてきたがバックスがメイン。「怪我をしたことは記憶にないが、怪我をさせたことは何回か、救急車を呼んでしまいましたよ」(大笑い)。"ONE FOR ALL、ALL FOR ONE"。「この考えは徹底してました。調和・協調は今でも生きてますし、良き友人に巡り合えた時でもありました。ノーサイドの笛を吹き、敵味方一緒に風呂に入り、裸の付き合い。いい時代でした。」と当時を振り返る。

趣味はゴルフ。だが若き頃2~3回プレーしただけで、当時社長だった父からゴルフ禁止令、「身代をつぶす気か」と怒鳴られた。「親はゴルフ三昧だったのに」と苦笑い。10年程前、社員から「仕事上のお付き合いや健康を考えてゴルフを解禁してください」と頼まれ再開、今は月に2~3回程度と話す。

昨年末にオープンさせたHOTELnanvanの調度品の買出しに東京・海外などを見て回った。「自分はもちろん、妻にとっても、新鮮で楽しかったです。妻も喜んでいました。子供達が手を離れ行きたかったのかな、と思いました。」「結婚25周年の銀婚式では旅行に夫婦で出かけました、今までの感謝とこんな私と連れ添ったご褒美ですかね」。

現在、実母、奥様、と子供(男3人女1人)の7人家族。長男は水産総合研究所、次男は福一漁業の販売事業、3男は水産商社で活躍中で漁業に関係する仕事に就いている。「私がそうしろと言った訳ではなく、自然とそうなりました」と目が細くなる。「息子達が"継ぐのは嫌だ"という会社はつくりはしない。次世代に夢を託したい」と熱き心だ。

好きな言葉は「未完成の魅力。いつでも今が始まり」。常に前を向き、満足はしない。目標を高く掲げ今後も挑み続ける。「よき後継者にも恵まれ海旋の現場を離れても、海旋は自らの原点であり、海旋を愛する思いはいささかも変わることはない。」と結んだ。